「14日に福島第一原発の3号機が水素爆発した後、翌15日〜16日に大量の放射性物質が撒き散らされて、関東にまで達しました。通常の何十倍もの空気中線量が観測された」
「東電社員たちは、あれだけの地震が起こったのだから、原子炉が危ないことを知っていたはず。で、他の人には教えないで、自分たちだけ逃げてましった。
その子の母親が、避難した先の栃木から、危険だから早く、そこから逃げたほうがいいですよ、と私に言っていた」
「その東電の社員は、現場の重要なポストにいた人なのに、機械の運転も放り投げて、自分たち家族だけは、誰にも知らせないで逃げてしまった。
あまりの無責任さに、驚きと憤りを感じている」
「政府は、原子力安全・保安院の職員らを福島第1原発から、およそ5キロのところにある「オフサイトセンター」で待機させていましたが、15日午前、第1原発からおよそ50キロ離れた郡山市まで退避させました。
別の原子力安全・保安院の人間たちは、福島まで逃げて、1週間、戻ってこなかったのです。
政府関係者は、3号機の爆発後、大量の放射性物質が飛んでくることを、しっかり認識しており、真っ先に自分たちは安全な場所に避難していたのです。」